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2011.09.05 雛菊。

本を読むと、実際に体験していないことでも、擬似的に体験することができる。
それだけでなく、自分にとって未知の知識を得られるという点では、経験則として貴重な物だなぁといつも思う。


高校の頃から心理学的な本や哲学の本にも少しずつ手を出しているのだけれど、この手の本は、私が頭が悪いというのもあるけれど、噛み砕くのにやや時間がかかる。けれど、これらの知識を頭に入れることは、自分の性格やこれまでの経験を踏まえるときわめて重要だと考えるので、ゆっくりでも読み続けて行きたいなと思う。


昔から、勉強に関してはそれなりに出来たし、勉強ができない、という事で悩んだことは高校1年生を除いたらほとんどなかった気がする。大学受験での失敗は、親に対する反抗の意志が強かった。行きたくもない大学に、合格なんてしたくない、無駄金を使ってやるって考えていたな。今思い返せば、あの頃の親の抑圧的な態度が無ければ、もっと素直に受験に臨んでたかもしれない。そのくらい、高校時代の親の抑圧は酷かった。正直、虐待に精神的な物が含まれるのであれば、間違いなく、あれらは虐待だったと今では思う。だから私は、実家が嫌いだし、物心ついた頃には家を出たいという意志が強かった。だから自立しようと必死だったし、周りにどんなに親しい友人が居ても、私は自分の意志を曲げなかった。東京に出る、それでなんとかあの家から逃れられるって信じてたんだろうね。


一度出来た溝はそう簡単には埋まらない。
私は母親が嫌いだ。
むしろ憎んでいると言っても過言ではない。
顔も見たくもないし、声すら聴きたくない。
出来ることなら、私の人生に関わっていてほしくない、そういうレベルで私は母という存在を拒否している。


こうなるのも、今迄を振り返ってみたらある意味当然の結果ではあると思う。
私自身が親に対して無理を通してきた面もあるが、それを加味したとしても、母親の私や兄に対する態度は決して許せる物ではない。


高校受験の前日に、家から閉め出された事があった。
私自身何かしたのかというと何もしていない。
親の条件を呑んで、自分よりも上のランクの高校に挑戦していたのだが、食事の最中に「お前が受かるはずが無い」と言われて、1月の寒空の下に放置された記憶がある。あの時は兄が助けてくれたけれど、未だに忘れない。母はきっと忘れているだろうけれど。
合格したからよかったものの、この日を境に完全に私は母親を敵と認識する様になったな。


現役の大学受験の時もそう。
一番最初の試験前日の食事の最中に、「明日試験何時からだから何時にはに出るよ」、という話をしたら、唐突に母親がキレてしまい、その日から口を一切聴いてくれない、電話にも出ない、無視する、という日が続いた。現役時代は合格圏内の大学も含めて総滑りという散々な結果を残したけれど、環境を理由にしてはいけないとはいえ、母親に精神的にいたぶられた記憶はそう簡単には拭えない。


母親が言う事はいつも正論。
だから嫌。
察しろ、という言葉が通じない。
他人に理解を示さない。
自分の世界が全てである。
それが通らなかったら、怒鳴る、手を出す、が当たり前。
人を非難して自分は全て正しいという顔をする。
他人に頼って当たり前。
身内以外には大きい態度に出る事が出来ない。
(駅員に道を尋ねる事さえ出来ない)



心理学的な用語を使うならば、こういうのを『白雪姫コンプレックス』というのかもしれない。
きっと、この行動は連鎖する。
私の母親も、その母親に同じ様に育てられてきたのだ。
ともすれば、どこかで断ち切らなければ、これは半永久的に続いて行ってしまうに違いない。


こういった、無意識下に起こるものって、深層心理というか、覚えていないけれどされた事なんかに起因するのだと思う。私自身、母親にされてきた事を全て覚えている訳ではないが、時折フラッシュバックのような形で復元される事がある。
克服のためには相当の労力と時間を要する事だと思う。
母親は私を罵り、叩き、人格を無視し続けてきた。
父は見て見ぬ振りをした。
私の人格形成にこれらが大きく関与している事は言うまでもない。
だからこそ、これらは自分自身の手で乗り越えて行くしかない。
間違っても、後世に伝えるべき事ではない。


かつては、自分は何があっても子供だけは作らないと心に決めていた事が合った。今でも、その考えはもっとソフトになったとはいえ、少なくともある程度心の余裕ができる迄は絶対に不可ときめている。


幸か不幸か、私は性格的に父親の気質を受け継いでいるから、母親の様にヒステリーを起こしたり、不条理に相手に怒りをぶつけるという事は基本的には嫌いな行為。だけれど、時折、自分の中にそういう面を見つけてしまう事があって、ここ最近それで落ち込む事が非常に多かった。理性的になりたいと迄は言わないが、出来る限り感情論で生きたくはないのだ。

要するに、私が望んでいる事は、自立した女性になる事でもなく、一人で生きて行く事でもなく、私が背負い続けている、母親という存在を乗り越える事なのだと思う。それが最大で最上の目的となってしまっているのだと思う。
このまま私がかわれなければ、私もきっと自分の子供に同じ事をしてしまうかもしれない。
心ではダメだと分かっていても、自制を効かす事ができずに、恨みを買うほど迄に傷つけてしまうかもしれない。時には本音でぶつかり合う事も大事だけれど、それが常態化するのは良い事ではない。人と人が付き合って行く中で、ある程度の線引き、礼儀は必要不可欠だ。どんなに親しい間柄でも、どこかにそれがなければいずれ崩壊する。


親しい間柄=無下に傷つけていい存在ではない。



こうやって書き出して見ると、いかに自分が被害者妄想に陥っているかが手に取る様に分かる。
この時点で、既にアウトなのだという事を思い知るべきだ。


母親との関係を克服するための手段の第一としては、その立場の逆転が不可欠だと考える。
このままの関係のままいったら、間違いなく母は私に夫や子供が出来た際に、それらにも同じような抑圧的な態度を取ろうとするかもしれない。母親にとって、いつまでも私や兄が小さな反抗できない子供で居る限りは、いつまでも自分が優位で居られるという考えが変わらないのだから。


私の自立への終着はこういった家族へのコンプレックスから成るものだ。
私は逃げ出すのではなくて、克服したいのだ。
これ迄できなかった良好な関係という物に出来るだけ近づけたい。


今これを露骨にやろうとすると、母は言うだろう。
「大学の学費払ってやらない」とか、「生活費を出さない」とか。
こういえば、「あんたが生きてく事なんてできないでしょう」という優越感に浸れるのだろうが、井の中の蛙にも程がある。確かに大卒で無ければ就職もまともに出来ないくらい厳しい世の中ではあるが、それは極論過ぎる。
親に頼って生きるだけが、全てではない。


もし、これが卒業した後になったら、こう変わるのだろう。
「お前の学費出してやったのは私だ、親の面倒を見るのは当たり前だ」、と。
それがたとえ当たり前なのだとしても、押しつけは間違っている。
母はことあるごとによく職場の同僚の子供を例に出して、「〜さんとこは子供が多くて、高校生でアルバイトをして、そのお金でプレゼントだってやってくれてるのに、あんたは一度だってそんな事をしてくれたためしがない」と言う。
けれど私は、お金はかけられないとはいえ、毎年母の日と誕生日にプレゼントをあげている。要は、気に入らないという事なのだろう。父が数年前に母にあげたプレゼントは、「こんな物いらないから返品してきて」と投げて返した。
そんな人間だ。


あきらめるしか無いのだろうな、と昔はよく思っていた。
高校生になれば、大学生になれば、少しは変わるかもしれない。
昔から思い続けてきた事は一緒だ。
けれど、現状は悪化するばかりだ。
だから私は、大学卒業と同時に出来る限り縁を切りたい。


正直、どうすれば良いかは未だに手探り状態だ。
これだけ抑圧してきてもなお、自分はあくまでも被害者であり続けようとする母の姿は、どこか痛々しい。そして私は、女としても娘としても母親を許す事などきっと一生できないのだ。それほど迄に、私は知りすぎてしまった。死んだ弟妹の事も、外に男を作っているという事実にも。


母親を信用できない、ということは外での人間関係にも大きく関与する。
だけど、私は屈したくない。
これらは克服できる事だと信じているから。


だから私はつよくなりたいのだ。
一人ででも、立っていられる様に。
実際今迄だってずっと一人だったのだ。
これからも一人であっても、なんとかなる。
寂しいかもしれないけれど、そういう生き方だってある。
人に頼る方法もあるのかもしれないけれど、私は自分以外の他人に負担をかけるという事が嫌なのだ。
苦労や負担を背負うのは自分だけで良い。
そんな事まで他人が背負う事なんて無い。


いつでもそんな事を考えてしまう。
ネガティブ思考はだいっきらい!
前向きに考えられる日だけ、きちんと考える。
ネガティブな時は、何も考えずに眠ってしまえ。


それが私であってほしい。




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