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2011.06.06 本を読む。

本を読んでると、忘れられない言葉とか、
心を打たれる言葉に出会う。
それはみんな、ストレートに私の心に語りかけてくる。

例えば、近代代表、太宰治ならこの言葉。


☆最後に一つだけ、君を歓ばせる言葉を附け加えます。
「天才とは、いつでも自身を駄目だと思っている人たちである。」
笑ったね。匆々。


☆人間は、死んでから一番人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ。


☆人生の出発は、つねにあいまい。 まず試みよ。
破局の次にも、春は来る。 桜の園を取りかへす術なきや


☆過ぎ去ったことは忘れろ。
そう言っても、無理かもしれぬが、しかし人間は、
何か一つ、触れてはならぬ深い傷を背負ってそれでも、
堪えてそしらぬふりをして生きているのではないのか。
おれは、そう思う。


太宰はいつも、今の私に近いところにいてくれる。
だから好きだ。
偉人としてではなくて、
一人の人間として語りかけてくれる。



現代代表な嶽本野ばらなら、

☆優しさなんて臆病者の武器にしか過ぎないの



私が太宰治や萩原朔太郎が好きな理由って、
この人たちがまるで飾る事無く、
ストレートに自分の苦しみや悩みを表現してる点に尽きる。

太宰が人々に受け入れられるのは、
今の時代に苦しんでいる人々の心に響くから。

本を読んでおもしろいと思えるのは、
その本に共感できる、理解できるから。



本から得る物って大きいけれど、
それを消化するのって難しい。
そこで地団駄を踏むばかりで、
前に進めない。

あくまでも指標としてそこに存在してくれるけど、
やっぱり本とは他人の人生だ。
参考にはできる。
こんな生き方もあるって学べるけれど、
それを自分の人生に応用するには、
課題として難しすぎる。


私は大学で太宰と朔太郎に近づこうと勉強してるけど、
今も昔も、人の苦しみの根源は実はかわらないのかもしれない。
人と共存してる以上、
そこに軋轢は生まれる。
他人と自分との距離や、
自分自身、脱する事のできない状況での苦しみとか。


人は結局一人だって悟る文学者は多い。
しかし果たしてそうか?
人は他人と共存して生きている。
そこから一人と他人を切り離してばかりでは、
きっと自分という殻からは抜け出す事はできない。

難しいなぁ。
人生論を語れる程私はまだ生きれていないよ。



『月に吠える』を読む。
やっぱり朔太郎は好きだ。
この人の不器用な生き方に、
私は尊敬の念を抱かざるを得ない。



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