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「詩はただ病める魂の所有者と孤独者の寂しい慰めである」
萩原朔太郎



感情の世界を表現するのは難しい。


それはたとえ小説であろうと、詩であろうと、声に出す言葉であろうと同じ事。
自分の中で抱える思いを言葉にして表現しようとするときに、声や文字に変換されるまでの間に、少しずつ思いの一部が欠落していってしまうから、言いたいことの半分も表現しきれない。そんなことが日常の私からすると、言葉に託して感情をひたすら表現し続ける事は、何にも代え難く、また、それができるという人間に対しては尊敬の念を抱かざるを得ない。


だけど、その表現はストレート過ぎるのもキライ。


だから私は、「詩」という表現方法に価値を見いだしているのかもしれない。
小説には表現の”限界”を感じてしまうから。


ううん、違う。


言葉の表面だけから得る感情よりも、言葉の裏側から発せられる感情の方が、よりその思いをリアルに受け取る事ができる気がする。
だから、全てを文字で表現してしまう小説よりも、少ない文字に思いを閉じ込めて解釈を促す詩の方が、より私にとって感情の表現媒体として重要性を感じるんだろうな。どこか、籠の鳥みたい。羽ばたく事のできない言葉達を、一つずつ自分の中に取り入れて、あたためて、そして空に放つかの様に理解する。



おもかげをわすれかねつつ
こころかなしきときは
ひとりあゆみておもひを野に捨てよ
おもかげをわすれかねつつ
こころくるしきときは
風とともにあゆみて
おもかげを風にあたへよ


詩に託された文字は、いつもどこか暖かい。
この詩は、尾崎翠の「歩行」の冒頭に出てくるものだけれど、小説の一部として登場するにも関わらず、この詩だけで、一つの物語が語られ、完結している。


詩は一つのとても短い物語。
そして、書き手だけでなく、読み手が存在してようやく完結することができる物語。
散文よりも、時につまらないかもしれないけれど、読み込んだら一番自分の側にいてくれる文字達。
だから大切にしよう。


そんな事を思う、夏の夜のひとときなのでした。


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